よく「~のメッカ」という言い方がされる「メッカ」が、イスラーム最大の聖地である「マッカ(ペルシア語ではマッケ)」のことであるというのは有名です。
これは、世界中のムスリムが「神の家であるカアバ神殿」があるマッカに向かって礼拝をし、一年に一回ハッジ(巡礼)のためにこの地に集まってくることから、何かの中心となる場所のことをこう呼ぶようになったとのこと。
そのムスリムの聖地マッカとはどんなところなのでしょうか?そこにある「カアバ神殿」とは?
らくださんによると、ユダヤの神殿は神がそこにいる場所ではなく、神と向き合うための窓口のようなものであるとのことでした。
では、マッカはムスリムにとってどんな場所なのかというと、全ムスリムの紐帯を確かめる場です。
カアバ神殿は神がそこに存在する場所ではなく、全世界のムスリムがそこに向けて礼拝を行う方向であり、ムスリムが巡礼に集まってくる場所です。同胞愛を強調するイスラームにおいて、人種や性別、年齢の別なく全てのムスリムが同じ方向へ向かって礼拝を行い、またマッカでハッジという一つの行を行うことによって、統一感と連帯感を感ずるという、全ムスリムの統一のシンボルであるということができます。
ユダヤ教においてもそうであるように、イスラームにおいても神は時間や場所に捕らわれることなく、あらゆるものから超越して存在するものですから、カアバ神殿あるいは神殿内にある「黒石」に神が宿っているなどということはあり得ません。
イスラームの伝承によると、イブラーヒーム(アブラハム)が息子イスマーイール(イシュマエル)と共にマッカの基礎を作ったが町の始まりとされています。その後、人々は神への信仰を忘れてしまい、偶像崇拝の神殿に変えてしまったが、再びムハンマドがそれを正しい姿に戻したのだとのことです。
預言者ムハンマドがマッカでイスラームの布教を始めた頃、マッカは多神教の聖地の一つで、カアバ神殿には360もの偶像が置かれていたと言われています。
これらの偶像への信仰が強かったマッカでは、ムハンマドの唱える唯一神への信仰は受け入れられず、ヤスリブ(後のマディーナ=メディナ)のユダヤ教徒たちに招かれ、ヤスリブへと移住しました。
このイスラーム初期には、ユダヤ教徒への遠慮もあり、ユダヤ人の聖地であるエルサレムに向かって礼拝が行われていました。しかし、ムスリムの勢力が増すに連れ、ユダヤ人との関係が悪化し、ついにはユダヤ教徒と決別し、マッカが礼拝の方向であると定められました。その後、630年にムハンマドによってマッカは征服され、偶像は全て破壊され、イスラームの聖都となりました。
ムスリムにとってマッカは、礼拝の方向であり、ムスリムの義務であるハッジの目的地である、一生に一度は訪れたい聖地です。
カアバ神殿を中心とする一帯は聖域=禁域(ハラム)とされていて、戦闘、流血、狩猟、樹木の伐採などが禁じられています。
これは世界中どこにいてもマッカの方角が分かる「マッカ方位磁石」。
イランでは更にそこに、自分が何回サジダ(跪拝)をしたかをカウントしてくれるカウンターと、モフル(※)がついている。これで、自分が正しくマッカの方向を向いているか、何回礼拝を行ったか間違えずに済むという便利グッズ。
(※) シーア派でよく使う素焼きの小さなブロック。人間は土から作られたものであるということを忘れぬように、礼拝の際に額がそこにあたるように床に置き、跪拝を行う。第三代目イマーム・フサインが殺された場所であるカルバラーの土を使って作られたものが最も喜ばれる。マシュハドやゴムなど、シーア派の巡礼地におけるお土産品の定番。
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