Top

サラさんとらくさんのイスラームとユダヤな世界のコラボレーション! 
by collabo-sarakuda
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
「神は神殿にいるのか」-ユダヤの神殿の役割と目的について
すっかり遅くなってしまいましたが、前々回のポスト「サラさんへの返答」のコメント欄にてサラさんから神殿に関して頂いた質問について、ごくごく基本的なことを簡潔にまとめてみました。

サラさんの質問はこのようなことでした。

「ユダヤでは神は神殿にいるものなのか、そして神はひとところにいるものなのか」

そしてそれに対してのらくだのの見解はこうです。

まず、ユダヤでは神は神殿にいるのではなく、ひとところに留まらずにどこにでも(時間も空間も越えて)いるものだと言われています。

ユダヤの神殿は神と人との関係を築くための事務所というかオフィスというか、まあそんな場所であって、そこに神が住んでいるということではありません。旧約聖書(トーラー)を読むと、神殿はユダヤによって建設されなければならないもの、と短絡的に解釈できるのですが、実はもっと込み入った話なんですね。

中世の代表的なユダヤ学者であるランバンとラシは、それについてまったく異なった解釈をしています。ランバン派のカバラ(神秘主義)的解釈では、いずれにしても神殿はユダヤのスピリチャルな必要性として建設されなくてはならなく、神殿は単なる建物ではなく宇宙のモデルであり、神秘的な意味合いを持っているとされています。

ラシ派では、はじめは人の精神レベルは物質なしに神とつながりを取れるほどに高いものなので神殿の必要はないと考えていましたが、モーセが十戒を授かるためにシナイ山にいる間に起こった「黄金の牛事件(人々が金で牛などの偶像を作り崇拝したこと)」で、そのレベルの人の精神では神とつながりを持つには物理的なものが必要だとして、神はモーセを通してユダヤの人に神殿を建てるように伝えたと解釈しています。

神殿は神に対して生贄(動物のみ)と祈りを捧げる場所として建てられました。旧約においては神殿に神はいないとはっきりと書かれ、神殿の中心部である「Holy of holies」と呼ばれる場所は空っぽでなければならないとされています。ちなみに、現在は嘆きの壁の下にある地下の遺跡の町を通り抜けて「Holy of holies」の裏側へ行くことが出来ます。

ユダヤ哲学で著名なランバム(ランバンとは別人です)は、本来、神殿において生贄を捧げるべきことではないと唱えましたが、旧約が人に与えられた時代にはユダヤ以外の世界中の人々は色々な生贄をささげることで神々とのつながりを持っていたので、ユダヤの人々も動物の生贄なしで神とつながりを持つことはできなかったのだが、しかしユダヤの人々が将来的に精神レベルを高めた時に、神殿へ生贄を捧げることは止めるだろうと解いています。

はじめての神殿は砂漠に建てられたテントのようなものでしたが、ユダヤの人々がBC1300年頃(今から3300年ほど前)にイスラエルの土地にやって来た頃からBC900年頃までの400年は、そのようなテント式神殿は色々な場所に移動し、その間、人々はいつでもどこでも彼らの好きな場所に生贄は捧げていました。BC900年になってダヴィド王は彼の王政を広めるために当時王国の首都であったヘブロンをエルサレムに移し、そこに普遍的な神殿を建てることにしましたが、相次ぐ戦いによってダヴィデ王の時代には神殿の建設は行われず、息子のソロモンが後を継いで王になった時代になってはじめて建築物としての神殿は建てられ、その神殿が史的には第一神殿と呼ばれる神殿となりました。そしてそれまではどこにでも捧げることの出来た生贄は、エルサレムの神殿でのみ、捧げることとされました。

神殿の役目は、神殿がユダヤの生活の中心となり、ユダヤの人々は一年のうちでは過ぎ越しの祭り(ペサハ)と、七週祭(シャヴオット)と仮住いの祭り(スコット)の三度の参拝を行うこと、そしてその年に最初に収穫された作物を捧げることなどでした。その他には、人が罪を犯した場合などにも動物の生贄を捧げましたし、サンヘドリンと呼ばれる最高裁判所と国会が置かれていました。

日常の礼拝は、神殿で行われるのではなく、それぞれ地域のシナゴーグで行われていました。そして以前サラさんと話していた不浄についてですが、不浄の人が清めなければならなかったのは神殿に参拝に行くためのみであって、日々の生活では清める必要はありませんでした。第二神殿の破壊後、生贄を捧げることはもう出来ませんので、今日においては毎日の礼拝で神殿時代に生贄がどういったものであったかが祈られています。

ちなみに、第一と第二神殿ともにユダヤ暦のアヴの月の9日に破壊されたので、現在でもその日が近づくとユダヤの人々は娯楽を控え、当日には絶食し、エルサレムでは嘆きの壁の前で徹夜で悲しみを表現します。
e0037131_20375241.jpg


らくだの
[PR]
by collabo-sarakuda | 2005-09-26 20:39 | 宗教-イスラームとユダヤ
<< ムスリムのメッカ スンニー派とシーア派について >>